日記を書くということ

日記を書くのが苦手だ。

書きたいと思って買って長続きした記憶がない。今のところ、ロフトで買った5年ぶんの3行くらいの日記が1番使いやすくて飛び飛びに書いている。

びっしり日記帳を埋められる人は、気になるものを見つけるのが上手いのだと思う。話の種を拾うのが上手いのだとも。

 

スケジュール帳も、はじめ数ヶ月は続いてもそのあとは雑になる。もともと入れる予定がないタイプで、あったとしてもジムと当直、それから最近趣味になったTRPG の予定くらいしかない。

 

行きたいと思ったところには思い立った時に行ってしまうし、そもそもがインドアのせいでやることも少ない。日記を書いてその日を思い返すより、自分のしたミスを記録する手帳の方が重要度が高い。

そういう意味ではそれが日記がわりなのかもしれない。あったことの断片を書いておけば、その日のことはだいたい思い出せる。

日記の形はそれぞれだが、そういう意味では私の日記はこうして、オンラインに見えない形になるようになっているのかもしれない。

言葉が変わってよかったと思ったこと

今更ながら、NHKの虹色クローゼットを見返した。気になって録画して、まだ見ることができていなかった。10代の言葉を聞いていくうち、昔、同じ内容で苦しんでいただろう人が身近にいたことを思い出した。変な同情は当事者を傷つけるだろうが、当時の友人も同じ内容で葛藤していたと思う。

 

当時はそんな状態の人を性同一性障害としか呼べなかった気がする。もちろん、言葉として医学的な領分にあるのはわかるが当時小学生だった頃も、あまり好ましいと思っていない言葉だったように思う。だから今の時代になって「トランスジェンダー」という単語が出てきたことで(もちろん、二つの言葉に違いがあることはある程度理解したつもりになっているけど)、そういう状態にいる人たちのことについて、そうでない人たちが口にしやすくなったと思うし、議論しやすくなったと感じている。

かつての世界より確実に優しい世界へ近づいていると思う。これは非当事者の感覚だから、現実違うのかもしれないが、「障害」という慈悲も気遣いも何もない単語から脱却できたのはよかったと思う。

 

当時の知り合いがカミングアウトした時、幼い私はただ「そうなんだなあ」と思ったことを覚えている。昔からとてもかっこよくておおらかで優しい人だったし、悩んで性別を変えたと聞いたとき、その人が「過ごしやすい世界にしたんだ」と思って、よかったと思った。私と違う感じ方をしている人もいたと思うが、私は少なくとも、その人の魂と心が平安にいられるように過ごしてほしいと思う。

 

社会制度が追いつかないのは大量の人口を抱える国ではある程度仕方のないことだし、基本的に保守が強くなるのは致し方ない。

性別を変える人たち全てが人間性ができているのかと言われると、人間だから、そんな前提は馬鹿げているとしか言いようがないし、それは性別が一致しない人たちも、一致している人たちも一緒だろう。

みんなが過ごしやすい社会を作るために今は、議論を深める時期、時代なのだなと思う。だから、せめて私が老人ホームに入る頃、「いい時代になった」とぼやけるような時代になるように、今できることから始めていきたいと、なんとなく思った。

許せていないこと

ここ2年で世相は変わった。仕事は変わらない。研修期間のうち半分を流行病に支配され、旧時代のコミュニケーションは死んだ。

 

私のいる医療業界は典型的男社会で、学生の頃からまわりにはその流れに乗る人間しかおらず、家庭で甘やかされ、社会に甘やかされてきた者も多く、女学生への問いかけといえば彼氏はいるのか、可愛いねとか、あれとあれが穴兄弟だ、こいつとならいくらでヤレるか価格を提示してみろ、などの言葉を受けてきた。

だから同業者の男が苦手だ。

 

目指したから受かり、受かったからこそ今の仕事についているが、職場の人間を好きか嫌いかでいえば、嫌いに振り分けるか、あるいはそういう区分で分類すべきでないもの、という区分があればそこに入れるだろう。その時点でほとんど嫌いに近いかあるいは無関心になるのかも知らない。

仕事の人は仕事の人でしかない。だからこそ、なぜその程度の付き合いにしかならない人に、そのような、人間としての尊敬を死滅させ、乾燥させ、粉々に砕いて汚泥と混ぜ、腐敗物とぐちゃぐちゃ練り合わせたような質問を、ただそこにいただけの女の顔に入念に練り込むような行為をするのか私には理解ができない。

 

上記の理由から飲み会が嫌いだ。男と顔を突き合わせ、なぜ言わなくてはならない内容を口にし、面白がられる必要がある。向こうも私が参加しなければ、こんな面倒な思考を自分たちの世界に持ち込まられず、ぬるま湯で、カワイくて、自分たちの言葉に当たり障りなく返してくれる女の子に接待されて楽しいらしい。ご勝手に。

 

とにかく、飲み会にいい思い出のない私には生きやすい世界になった。飲み会はこのまま無くなれば良いし、職場の人間は職場の人としていてもらえれば良いし、私は勝手に己で幸せになる。

星図見てもらったよ

とは言え、対面であったのと、今の悩みである仕事について特化して聞いたこと、そしてホロスコープ そのものは見せてもらえなかったので(私の個人情報なのにちょっとおかしくないか)、不完全燃焼感だった。

前に一度お遊び的に見てもらった時ただ「ヤバい」図だとしか言われなかったので、どれだけ私の図がまずいのか怖かった。

 

 

結果として、店舗は落ち込んでる人が話を聞いてもらいに行く場所だった。

ヤバさと言う単語はきっと「孤独は嫌い」でも「干渉も嫌」と言うわがままさと、おそらく冥王星由来の「世界のB面」を見る性質、生きづらさを意味していたのだと思う。

仕事にまつわることを聞いたので、おそらく水星や金星、カルミネートする火星と海王星を見ていたのだ……とは感じた。多角的に見るものなのはもちろんなので。

 

意外だったのは、冥王星より海王星の存在感が強かったことだった。冥王星は世代相だそうだから仕方なしか。好きな事しかできない、好きな事には全振りってところは冥王星だろうか。

火星と海王星180がきっかり0度誤差なので目立つのだろう。多分先走りして強引になるのは天王星と火星180。ここ二つがやっぱり特徴的なんだろうなあ。そこに水星が噛んできて、今やってる仕事の医療系の特性が加わってくる。

9ハウスに火星がいるから海外での仕事の方がいいかも、って読みになるんだな。

海外に縁があるのは有島っぽくて嬉しい。親元から離れた方が良いってあたりも。

 

 

ここまでまとめると海外縁と、正義、あるいは困った事があるひとへの奉仕好きってのは12ハウス太陽っぽい。

 

あと嬉しかったことは、研究職あるいは芸術家体質というところ。

上司運はない、というより、自由人で職場の上下関係が苦手、と言われて深く納得した。個人的な友人には恵まれている、というのも当たっていた。学問としての医学に魅了されてるってあたりもまさにそうで、これは好きな作家の志賀さん的で嬉しかった。

 

デスクワークが苦手で、美意識があって、研究職向き、霊感(って書くとちょっとアヤシイけど)も強くて、世界のB面見ている、個人的な友人はすごく良い人が多い、上下関係てんでダメ、海辺、水辺と相性がいいってあたりはなんとなし太宰とか志賀好きなの納得した(玉川上水とか我孫子とか尾道的な意味で)。酒は体質的にダメだからそこはズレるけど、一緒に飲んだ事ある人ならわかると思うが私は居酒屋での大勢の飲み会は嫌いだけど少量をちびちび飲めるバーは好きだから、その辺りなんだろうな。蠍座海王星のハイブリッド感よ。この辺りは宿曜にも類似点が見えるので割にちゃんと当たってるんだと思う。

文章はやろうと思えば、のニュアンスだったので、おそらく磨いていけばなんとかなるんだとは思う。選ぶテーマがニッチすぎる感じは否めない。多分蠍座。ジャーナリストにも向いてるって言われた。

今思えばこれはMC獅子座、そして火星と組んだ海王星、そして世代で合の天王星とソフトに組んでる水星(そしてこれが火星に噛む)なんだろうか。だからおそらく海外に行く文筆家、となると研究職かあるいはジャーナリストになるのかな。なるほどね。

一個だけ「そうなの!?」って思ったのは案外用意周到だよってところで、おっちょこちょいだって言われ続けてきた私には意外な鑑定でした。

 

占い師さんは精神科医やったら面白そうだと思います。むしろ私がやってみたい。ただ、ドライじゃないと続かなさそう。占い依存する人間に蠍座が多いって言うのは自分の納得いく回答をもらえるまで通っちゃう執念深さが悪い方に出てしまうとこにありそうだな、なんて思いました。

 

追記

ああ、あと思ったこと追加するなら、これ頭の中に自分のホロスコープ があったから鑑定に納得したけど、作ったことない人だと絶対に出た後になんだったんだろうな、あの場所は、って思ってたろうなと思いました。病院で患者さんがカルテ見たいな〜〜って身を乗り出す気持ちがわかりました。

父のこと

子供の頃の記憶をわりに覚えている方だったが父親の事となるといまいち思い出せない。
きちんとした人ではあった。ただ職業柄家にいない日が多かった。そのためにそこそこ広い家に一人で過ごすことが多く、またたまに帰ってくる父は疲れはてて、部屋で何本もタバコを吸っていた。
わたしの記憶のなかで父の書斎はタバコの煙で白くけぶっている。
恐ろしい虎のようにも見えたが、長期休暇になるとかならず休みをとって、私たちをテーマパークへ連れ出してくれた。小さすぎてパレードを見れない私たちを抱き上げて見せてくれた。かわいいキャラクターの描かれたキーホルダーが、パレードの光にちらちらきらめいているのを今も思い出す。

父のくしゃくしゃに笑った顔が好きだ。
仕事で帰れない日は家のなかの頼りなさに泣いて、家にいてくれる日は安心して眠れた。父のいない日は煙のない部屋で父の持っている漫画を読んだ。
服装などにもうるさい父親のことをいまだに少しは煙たがってしまうが、基本的に父のことを嫌いにはならなかった。
私も大人になって、あの頃の父親のように家にいない日が続いている。そうして父は年を取り、恐ろしい虎は老いて優しい笑顔を浮かべるようになった。
それがとてつもなく寂しく、あと何度この笑顔を見れるのか、私にはわからない。
後悔をしないように生きていたい。親孝行なんてすこし気恥ずかしくてかゆい単語を臆面もなく出して私は父を思う。
なにをしてあげられるだろう。
この長いときにわたって、助けてくれてありがとう。怒りっぽかったのは怖かったけど。
父はそういう人だ。

焦げ茶色

好きな色が変わってきた。
幼稚園の頃一番だったのは紫色で、理由は忘れた。
ただ窓の外を見ながら紫好きだなと考えていた。
私はそこそこに変な子供で、ポケットモンスターを知らない子供の世代がいつか生まれてくるんだろうとか、いくらをいくらと名付けた人は何を考えていたんだろうとか、そういうところがあったので、紫もその一貫だったのだろう。

中学生の頃は黒になった。中二病を患っていたことと、単純にかっこよかったからだ。
高校生になると小賢しく緑青になった。

今はといえば、焦げ茶色である。
一人暮らしが現実化し、インテリアを真剣に選ぶ必要が出て来て目につくのはこの色だった。
安心感があると言えばいいのか、あるいは……というより安い家具であっても焦げ茶色ならそこそこに高級感が出るから好きだ。あけすけにいえば。
焦げ茶色だけでは味気ないので、この際緑青と瑠璃を加える。イメージは茶室。
焦げ茶はいい。一瞬で部屋がおしゃれになる。理由はわからない。